何故自殺「未遂」をしようとしたのか
どうも、OD事件から少し時間が経って少し持ち直したIMADAです。相変わらず食欲もそんなに無く、ひたすらに寝ています笑
さて、自分のした行動(というかこの身体がしていた行動)を見つめ直した時、ふとあることに気づいたんですね。
それは友達とのLINE、Googleの検索履歴、Twitterのつぶやきなどからの推測です。これから死んでみようかな、と思っている人は少しだけ目を通してくれたら嬉しいです。
最初は「本気で死んでやる」 と思っていた
きっと寂しかったんだろう、周りに誰もいないと思っていたんだろう。
「本気で死んでやる」と思っていた時、病院で貰った薬を飲んでいた。まだその時は睡眠薬で死ねると思っていた。でも、当然だけど30錠で死ねるわけがない。眠気に抗っていると、だんだん「死ぬ」ことより「寂しくて人に会いたい」が勝ってきた。だから、手当り次第に友達に電話をかけたりLINEをしたり、家に行ったりした。真夜中なのに。
友人が裏切ったように思えた
まあ、真夜中に押しかけたらそりゃ迷惑ですよね。「帰ってくれ」と言われてもどうやら聞かなかったらしく、そもそも以前から付きまとわれていたらしい(ここら辺の記憶が無いことが本当に大問題)。傍から見たら120%こちらが悪いことになる。
さて、そんなこんなで自宅に一旦戻った私は、またその友人に鬼電をするということをしてしまった。「帰らされた」=「見捨てられた」という等式が出来ていたと思う。家に帰った後、あの有名なブロンを140錠以上飲んだ。そしてLINEで「ODしてしまった助けてくれ」って言っていたみたいだし。まあその友人には「テストがあるからむり」と言われてしまったんですけどね。
「死にたい」んじゃなくて「かまって欲しい」だった
結局その友人とは距離を置いている。別の友人には、「あいつは人の心がわからないタイプだろうからIMADAは関わらない方がいいと思う」と言われてしまった。
そう、それなのに「かまってほしい」と彼に思ってしまう。
彼と私は割と同じタイプだと思う。
人付き合いが苦手で、裏でなんやかんやと言われる。ああ似ているなと。似ているからこそ、自分をわかってくれると信じ込んでストーカーみたいなことをしてしまったんだなと。結局自分のことを理解してくれる人など自分以外にいないのに。
結局、自殺じゃなくて自殺未遂で気を引きたかったんだろうと思います。まあ別の友人を心配させ、「生きてて良かった」と言わせたことで目的は達成できたと思うので、もう自殺未遂はしないと思います。仮にするとしたら本気で「自殺」でしょうし。
その「死にたい」の気持ちを詳しく考える
結局、私は自分の気持ちに向き合わずただ「死にたい」という簡単な言葉で人生を終わらせるような真似をしていました。
(学校行けないし病院に行く気力もないしご飯食べたくないしずっと寝てたいしだからといってお金もないし友達もほとんどいないし親は頼れないし人生が最高に詰んでるしでも楽な方法でこの世を去りたいし悲しみの底に落ちてるし最後くらいは楽しいことしたいけどもう控えめに言って)死にたい
— I.K (@ki_adhd_dd) August 7, 2018
自分の「死にたい」にはこれくらいの意味があったんです。これ、よくよく見ると本当に死にたくないんですよね。だって「最後くらいは楽しいことしたい」って言ってるんだからまだ生きていたいはず。少なくとも「今」じゃなくて「明日」死んだっていいわけですよ。
もし、「死にたい」と思ってここに辿り着いた方がいるなら、少し自分に聞いてみてください。それはもう今すぐに「死にたい」のか?と。
今すぐだとするのなら、私はそれを止める権利はありません。だからといって自殺を勧めるわけでもありません。ただ、失敗した時面倒だぞ、とだけ言っておきます。
ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました。